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ソーシャルというのは人なのか、社会なのか。

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完全に雑記です。話も考えもまとまっていません。あしからず。

最近、たびたび思っていること。

ソーシャルメディア、ソーシャルコマース、ソーシャルグラフ。
ソーシャルネットワーク、ソーシャルリコメンド、ソーシャルウェブ。

ソーシャルってなに?

何を持ってソーシャルというのか。

あまりにソーシャルという言葉が乱発されていて、
もはやつけたもん勝ちのような気さえしてくる。

この【ソーシャル】という言葉はいろいろと細分化できると思うんだけど、
ものすごくざっくりに分ければ以下のふたつに分類できると思っている。

①人に基づいたソーシャル
②社会システムそのものに基づいたソーシャル

いま、いろいろと話題になっているのは①の人に基づくソーシャルだ。
もちろん、これをさらに細分化できるんだけど、今回はとりあえず無視する。

僕が言いたいのは、この【ソーシャル】という言葉は
人なのか、社会なのかということ。

『両方に決まってるだろ、バカヤロー』と言われるのは重々承知している。

うまく言えないけど、僕の考える今の【ソーシャル】という現状は
ほとんどが人に基づくソーシャルの話であって、これは本質的にはソーシャルといえるのかといいうこと。

つまり、僕の言う②の社会に基づくソーシャルとはまさしく社会のシステムそのもののことで
水道、ガス、電気のような公共事業のようなソーシャルを指す。

ともすれば、【ソーシャル】という言葉にはレイヤーがあって、
社会システムそのものを指すソーシャルの上に、人に基づくソーシャルがあるのではないか。
もしかしたら、逆かもしれないけど。
人に基づくソーシャルの上に社会システムそのものを指すソーシャルがある。

なんていうんだろうなあ。
まだ技術的にできてないってのもあるんだろうけど、
いま、巷でよく使われるソーシャルって、【ソーシャル】って言葉の一側面
もしくは半分に過ぎないんじゃないかなあと思うわけです。

facebookのマーク・ザッカーバーグはfacebookを『公共事業』だと言った。
その意味がまさしくその言葉通りだとしたら、

それが例えば、facebook上で電気やガス、水道なんかが払えて、
確定申告なんかもできて、選挙投票もできて
まさしく僕らが生きる社会のシステムそのものを担う、
もしくは部分的に担うことができたら、
初めて真の意味での【ソーシャル】っていえるんじゃないかなあってこと。

もちろん、これは多大なる課題がある。
それは十分にわかってる。

いうなれば、サマーウォーズの世界のOZみたいになったとしたら、
【ソーシャル】って言葉が完成する気がしている。

そうなったとき、プラットフォーム側、プラットフォームに乗る側
いろんな可能性が広がってると思うんです。課題と同時に。

そんな時代に、そのような仕事のはじっこに関われていることに感謝しながら
あーでもない、こーでもないといろいろと考えている今日この頃。

本当に雑記でした。